鉱 ARAGANE
© film.factory/FieldRAIN

鉱 ARAGANE

上映スケジュール

4/28(土)〜5/4(金)★1週間限定

連日11:25〜(日によって終映時間変動。最長13:00終)

料金

通常料金設定。

【次世代映画ショーケース】選定作品

★ご来場先着順でオリジナルポストカードプレゼント(なくなり次第配布終了)。

日替わりで小田監督の短編作品を併映。
4/28(土)上映後、小田香監督トーク(聞き手・出町座田中)
5/3(木・祝)上映後、小田香監督×福永信さん(小説家)

4/28(土)本編字幕なし版+『ひらいてつぼんで』 ★上映後、小田香監督トーク
4/29(日)本編字幕あり版+『呼応』
4/30(月)本編字幕なし版+『FLASH』
5/01(火)本編字幕あり版+『ひらいてつぼんで』
5/02(水)本編字幕なし版+『呼応』
5/03(木)本編字幕なし版+『メキシコリサーチ映像』 ★上映後、小田香監督×福永信さん
5/04(金)本編字幕あり版+『FLASH』

★短編作品>本編の順に上映します。
★各短編作品の紹介は下記参照。
★上映後トークは別室にて45分程度行います。
★トーク付き上映は招待券使用不可。

公式サイト

山形国際ドキュメンタリー映画祭2015 アジア千波万波部門特別賞
リスボン国際ドキュメンタリー映画祭2015正式出品
マル・デル・プラタ国際映画祭2015正式出品
台湾国際ドキュメンタリー映画祭2015正式出品

暗闇に___ 蠢く人々。反射する光。響く轟音。
誰も知らなかった地下世界に驚愕する。


【『鉱 ARAGANE』字幕なし版上映についてのご説明】
今回の上映では、日本語字幕ありの通常版日本語字幕なし版を日替わりで上映します。
字幕なし版上映は、光と闇に溢れた映像と鳴り響く爆音に集中して鑑賞していただくという意図です。
(元々字幕が非常に少ない作品ですので、作品本来の表現の妨げにはなりません。)


【『鉱 ARAGANE』と併映する短編作品の紹介】

『ひらいてつぼんで』
2012年/日本/13分
監督・脚本・編集:小田香
撮影:佐田直哉
三味線・小筆:朔屋兎乃
出演:山本里菜、黒島衣麗、藤林遼太郎、岩田徳承、朔屋兎乃、奈良県立葛城市白鳳中学校の皆さん
京都花背の「松上げ」を背景に、彼岸と此岸を少女たちの手が結ぶ。
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『呼応』
2014年/ボスニア・ヘルツェゴビナ=日本/19分
監督・撮影・編集:小田香
監修:タル・ベーラ

牛飼い、羊、風、あらゆる生きものが等しく在るように感じられる村。死と生はわけられない。メリーゴーランドに乗って、隣人の手をとり踊ろう。film.factoryに参加するために日本からボスニア・ヘルツェゴビナのサラエボに移った小田香はカメラと小さなボスニア語辞典だけもってウモリャニというボスニアの村に行く。異邦人である自分はその土地、動物、そして人々と何かを共有することができるか。
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『FLASH』
2015年/ボスニア・ヘルツェゴビナ=日本/25分
監督・撮影・編集:小田香

サラエボからザグレブまで行く長距離列車の車窓から見える異国の景色を見ながら、なぜか懐かしい気持ちになり、ふと、じぶんの思い出せる限り一番はじめの記憶はなんだろうという疑問が湧きました。原初の記憶は共有されえるのか、集団的な記憶は存在するのか、思い出せるようで思い出すことのできない始まりの記憶を巡りたい、その先にいる大事な何か(誰か)を見つめてみたい、という思いからこの作品を制作しました。
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『メキシコプロジェクト/リサーチ映像』
2017年/日本・メキシコ/12分
監督・撮影・編集:小田香
私たちの人間性はどのようなもので、どこに向かっているのだろう。樹の根が這う水中洞窟セノーテ、その縦穴の上から、太陽の光が水の中に降る。生贄として捧げられた少女たち。彼女たちの意識(集団的無意識)を通して語られる現在の人びとが残したい記憶。脈絡のない断片的な記憶の連なり。進行する小田香監督の新プロジェクトの断片を垣間見る。
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深い闇と鳴り響くノイズ 
ボスニアの炭鉱、地下300メートルの異空間

ボスニア・ヘルツェゴビナ、首都サラエボ近郊、100年の歴史あるブレザ炭鉱。ヨーロッパ有数の埋蔵量を誇ると言われているこの炭鉱は、第二次世界大戦、ボスニア・ヘルツェゴビナ内戦を乗り越え、現在も操業を続けている。
荒涼とした地面の上に無造作に置かれた、汚れと錆びにまみれた巨大な重機が炭鉱の存在を知らせる。坑夫たちは黙々と昇降用ケージに乗り込み、地下深くの暗闇に消えていく。そして坑夫たちが降り立った地下300メートルの場所には、ただただ深い闇が広がっていた。
一筋のヘッドランプの光だけが映しだす、闇に蠢く男たち。爆音で鳴り続ける採掘重機と歯車、そしてツルハシの響き。死と隣り合わせのこの場所で、人は何を想い、肉体を酷使するのか。カメラは闇に蠢く男たちをひたすら見つめる。

ガス・ヴァン・サント、アピチャッポンが絶賛!!
伝説の映画作家 タル・ベーラ(『ニーチェの馬』)の荒ぶる遺伝子が
ここに、開花する

この知られざる地下世界を捉えたのはひとりの日本人だった。単身、カメラを持ち、坑夫と共に坑道に降り、その日々の労働を生々しく捉えた。監督の小田香は、『ニーチェの馬』を最後に引退した伝説の映画作家タル・ベーラが後進の育成のために設立した映画学校【film.factory】で3年間学んだ。タル・ベーラ作品のごとく、まるでこの世界に存在するとは思えないような、光と闇そしてノイズにあふれた驚愕の映画空間をたったひとりで創り上げた。


ブレザ炭鉱について

『鉱 ARAGANE』の舞台は、ボスニア・ヘルツェゴビナのゼニツァ・ドボイ県ブレザ町にある炭鉱です。首都サラエボから北西に約30キロに位置し、天候が良ければ車で40分ほどの距離です。
ブレザ炭鉱は石炭の埋蔵量がヨーロッパでもっとも多いとされる炭鉱のひとつで、約7300万トンの亜炭と褐炭が埋蔵されていると言われています。坑内掘りの坑道がふたつ、露天掘りがひとつあり、撮影させていただいたのは坑道のひとつである’Sretno’坑内です。(スレトノ: ボスニア語でグッドラックを意味します)
ブレザ炭鉱の運営会社は1907年に創立されました。年間60万トンほどの採掘が可能で、平均年間採掘量は約45万トンとされています。坑夫の方や、プロセス工場で働く方々、事務所で働く方々の総員は現在約1250名とされ、ブレザ町に暮らす人びとの主な雇用先です。

内戦後、悪化する経済状況の中でより安定した運営を目指すために、ブレザ炭鉱は2009年より県営の電力会社と合併しました。翌年には、経営成績を上げたとされていますが、国を治める政党が変わる度に、会社の代表や幹部が政治的介入によって入れ替わり、安定した運営が行われているとは言い難いようです。大型重機を取り入れることで掘削量は年々上がっていますが、それに反比例して坑夫の方たちの給与は下がり、ひと昔前には1000ユーロだった月収が今は600ユーロほどまで下がったと言われています。

1日3シフトで24時間絶え間なく掘削が行われ、ひとつの坑に1シフト約40名の坑夫が働きます。1000トン〜1500トンの石炭が毎日採掘され、価値にすると8万〜24万ユーロほどです。

炭鉱には事故がつきものですが、ブレザ炭鉱も2012年5月にスレトノ坑内で有毒ガスから火災が発生、第一発見者である方が亡くなられました。その後、坑の調査と修復のために同坑に入った坑夫の方も救命呼吸具の不具合により命を落とされました。事故の起こった週末に、常駐するべき責任管理者がいなかったこと、事故の初期段階でなぜ対応ができなかったのかなど、いまだ解明されていません。私が撮影していた時期(2014年秋から翌年春頃にかけて)には、もう一方の坑道であるカメニツァ坑内で火災が発生し、立ち入りが禁止されていました。

はじめてブレザ炭鉱に訪れた日、旧ユーゴ時代のチトー大統領に表彰されたアリヤ・シノタノヴィッチさんの黄金に塗られた像を紹介していただきました。当時旧ソ連の模範労働者よりも、1日に多く石炭を掘った記録をもつ方だそうです。
社会主義労働者の英雄として讃えられていました。

(小田香)


監督プロフィール

小田香 Oda Kaori

1987年大阪府生まれ。フィルムメーカー。
2011年、ホリンズ大学(米国)教養学部映画コースを修了。卒業制作である中編作品『ノイズが言うには』が、なら国際映画祭で観客賞を受賞。東京国際LGBT映画祭など国内外の映画祭で上映される。
2013年、映画監督のタル・ベーラが陣頭指揮するfilm.factory (3年間の映画制作博士課程)に第1期生として招聘され、2016年に同プログラムを修了。2014年度ポーラ美術振興財団在外研究員。2015年に完成されたボスニアの炭鉱を主題とした第一長編作品『鉱 ARAGANE』が山形国際ドキュメンタリー映画祭2017・アジア千波万波部門にて特別賞を受賞。その後、リスボン国際ドキュメンタリー映画際やマル・デル・プラタ国際映画祭などで上映される。
映画・映像を制作するプロセスの中で、「我々の人間性とはどういうもので、それがどこに向かっているのか」を探究する。


監督の言葉

地下の世界に魅せられた。
跳ねる泥、漂う塵、舞う土埃、重機から散る霧、坑夫の方たちから昇る蒸気、肉体を打つ幾重にもなった機械音。
それら全てに圧倒的な美しさを感じた。
地中に広がる宇宙だった。
ほぼ唯一の光源であるヘッドランプに照らされるのは、各々の足場、ツルハシの鋒、坑夫の方たちの顔。照らされない空間は闇。特に、人のいない古い坑道は、左右上下を溶かす、飲み込まれそうな深い黒だった。
光にも闇にも、独特の美しさとこわさがあった。

撮影地のブレザ炭鉱には偶然出会った。もとはカフカの『バケツの騎士』を原作とした短編映画制作のため、取材目的で訪れたが、その空間と坑夫の方たちの佇まいに一目惚れしてしまった。初回は地下には入れてもらえなかったが、二度目に訪れた際には、安全管理の責任者の方と一緒に潜らせていただいた。私は地下で活動するためのトレーニングを受けていないため、撮影時にはいつもこの方が付き添ってくれた。地下にはじめて入り、その異次元空間と坑夫の方たちの労働に魅入り、『鉱 ARAGANE』の制作を決めた。あの美しさをただ撮りたかった。

決して、過ごしやすい環境とは言えない。太陽の光が微塵も届かない空間に何時間もいるというのは。空気孔が通っていると言っても、空気が薄いと感じることは多々あったし、むき出しの重機やベルトコンベアーに巻き込まれると身体のどこかがとぶ。振動として身体に訴えてくる騒音は慣れて感覚が麻痺するまでしばらくかかった。頭を振ったり口笛を鳴らしてコミュニケーションをとっている坑夫たちの伝達が食い違えば、容易に事故が起こるし、坑の中で命を守るため、万全を期することはないと言っていい。それでも、坑夫の方たちは毎日地下で8時間働く。お金を稼ぐためであるし、ボスニア全土に資源を供給しているという自負もあるという。炭鉱での労働は過酷なものだが、作業中にはアドレナリンが駆け巡っている、坑に入ったことのある者なら地上での仕事はできないよ、とある坑夫が話してくれた。

坑夫の方たちとブレザ炭鉱は、私にこの映画をつくる機会を与えてくれたけれど、私はこの映画で彼らに何かお返しをすることができるだろうか。
彼らは不可視だ。坑内の異次元の宇宙は、不可視の彼らの身の危険と隣り合わせで、いまも広がっていっている。
私たちの生活の資源がどこから来て、それがどんな場所なのか、もしもこの映画がそれらを表す瞬間を生み出せるなら、一緒にいさせてくれた彼らに対して少しでも返礼となるのかもしれない。同じ地球上にこんな空間があること、そこに坑夫の方たちがいまも存在することを体感していただければ嬉しい。

小田香


映画学校【film.factory】について

私たちの周囲にイメージが氾濫する時代であるにもかかわらず、この美しい伝達言語は毎日悪化の一途をたどっている。
私たちは視覚的文化とイメージの尊厳の重要性を、次世代の映画作家たちに証明したいのだ。
徹底的に、確信をもって。
責任感があり、ヒューマニズムの精神をもつ成熟した映画作家や、独自の映像言語をもち、その創造力を現実世界の人間の尊厳を守るために発揮するアーティストと共に、このプロジェクトに従事することが私たちの願いである。
                                    ——————タル・ベーラ


映画評

映画の始まりへの旅

                           樋口泰人(映画評論家・boid主宰)

1999年に作られた最初の『マトリックス』は、世紀の変わり目にふさわしい映画だった。かつてないやり方でデジタル処理された画面は、映画における時間と空間の概念を変え、わたしたちに新しい視覚をもたらしてくれた。その一方で、電話ボックスに突っ込むトラックの錆びついた重量級のボディ、船内の配線や機械類の黒々とした物質感、あるいは敵勢力の攻撃マシンの鈍い金属の輝きなど、そこには鉄と油の匂いが充満していた。

19世紀末、世界は蒸気機関から電気動力、内燃機関動力へと、そのエンジンを移していく。映画もそれらとともに生まれ、成熟した。カメラや映写機の歯車の回転によってフィルムは進み、物語も進み、それは人生と同じで後戻りできない。カタカタという回転音、その回転をスムーズにするための油の匂い。映画はそんな場所にあって、その鉄と油の匂いとともに未来を夢見ていた。たとえば鉄のひんやりとした手触り、油のぬめりと黒い汚れの感覚。フィルムにはそんな触感が張り付いていて、それは生きていることの痛みや悲しみの感覚として、私たちの心に深く沈殿して行ったはずだ。

ボスニアの炭鉱、地下300メートルに潜っていく鉱夫たちの姿を捉えたこの映画は、その意味で20世紀の映画のふるさとを訪ねる旅とも言えるだろう。暗闇の中にトロッコで入っていく鉱夫たち。映写機は歯車がフィルムを回すが、トロッコでは地面に敷かれたフィルムにも見える線路の上を、車輪が回る。鉱夫たちがヘルメットにつけたライトはそれぞれの映写機の光源ということになるだろうか。暗い坑道にいくつもの光が当てられ、それによってそれぞれの坑夫の視線の先がわかる。もちろんそこにあるのは単なる壁なのだが、彼らはいったいそこに何を観ているのだろうか? そしてその壁はこれまでいったい何人の坑夫たちから、そのようにして観られたのだろうか? 坑夫たちの視線の先が、そこに少しずつ重ねられていく。わたしたちは単なる坑道の壁を見ているだけではなく、坑夫たちの夢の重なりを見ているのだと言えないだろうか。つまり、沈殿した「映画」のかけらの堆積を観ているのだと。

面白い映画もある、つまらない映画もある、泣ける映画も笑える映画もあるし成功した映画も失敗した映画もある。坑夫たちは労働条件に不満を漏らし、実際その現場は本当に命懸けだ。さまざまな夢が重なり合い溶け合った夢の空間は常に危険と隣り合わせである。安全地帯では夢は見られない。そんな暗い夢の空間に入れるのは実はデジタルカメラなのだと、この映画が証明する。その機動性や光の感度など、坑道の中に入って坑夫たちの傍にあることのさまざまな条件をそれがクリアする。20世紀に夢見られた夢の集積を、21世紀のデジタルな視線がひとつひとつ解きほぐし、かつてそのように夢見られたかもしれない小さな夢の物語へと戻していく。鉄と油の夢からデジタル信号による夢へ。夢の集積からひとつひとつの小さな夢へ。映画の役割は変化し、しかし逆にさらなる歴史の原初へと、それは遡ろうとしているようにも思える。この映画の最後の真っ白な雪原には、映画の始まりの小さな夢が映されることになるだろう。


コメント

◉あなたも観るべき強烈な作品。私は好きだ。
———ガス・ヴァン・サント(映画監督)

◉『鉱 ARAGANE』は暗闇の交響曲であり、塵と深度の感覚的な世界への旅だ。
———アピチャッポン・ウィラーセタクン(映画監督)

◉小田香は新しい世界を発見しているのか。
それとも、創り出しているのだろうか?
明らかに、両方である。
———ジョナサン・ローゼンバウム(映画批評家)

◉サラエボのfilm.factoryにゲストとして訪れた際にこの映画を観た。
小田香は勇敢にも地中深い坑に降りて男たちを追い、厳しい労働のイメージを私たちに届けた。
私は感銘を受けた。すばらしい映画だ。
————ジェームス・ベニング(映画作家)

◉この古いボスニアの炭鉱の深い坑道の中、ツルハシと勇気をもって、男たちは石炭を採掘する。
この古いボスニアの炭鉱の深い坑道の中、ヘッドライトとカメラと真の正直さをもって、小田香は純金を掘り出した。
混じり気のない、映画的で人間的な黄金だ。
————ティエリー・ガレル(アルテ・フランス/ヨーロピアン文化チャンネル前ディレクター)


鉱 ARAGANE 2015年/ボスニア・ヘルツェゴビナ、日本/DCP/68分
★字幕なし版はHDデータでの上映。

監督・撮影・編集:小田香
監修:タル・ベーラ
プロデューサー:北川晋司/エミーナ・ガーニッチ
配給:スリーピン 提供:film.factory/FieldRAIN