私は、マリア・カラス
© 2017 - Elephant Doc - Petit Dragon - Unbeldi Productions - France 3 Cinema

私は、マリア・カラス

上映スケジュール

2019/2/9(土)〜3/1(金)

2/9(土)〜2/15(金)10:00(〜12:00終)
2/16(土)〜2/22(金)13:35(〜15:35終)
2/23(土)、2/24(日)9:40(〜11:35終)
2/25(月)〜2/27(水)10:20(〜12:20終)
2/28(木)9:40(〜11:35終)
3/1(金)10:20(〜12:20終)
*3/1(金)で終映。

料金

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公式サイト

誰も知らないマリア・カラスがここに。
未完の自叙伝、未公開映像・音源、封印されたラブレター 初解禁!

 

3年間かけて世界を回り、マリア・カラスの友人たちを探し出しました。
彼らは誰も見たことのない数多くの資料を保管していて、それらはマリア・カラスのとても個人的な記録でした。
自叙伝と400通を超える手紙を読み終えた時に、やっと見えてきた〈マリア・カラスの姿〉が映画の最も重要な部分になることを確信しました。
またその過程で、楽曲に関しても、観客によって撮影されたコンサートやオペラの映像をはじめ、幸運にも、これまで聴いたことのない数々の録音にアクセスできました。

今回、彼女と親しかった数え切れないほどの人々に会いましたが、彼女自身の言葉ほど強く、印象的な証言はなかったので、映画の中に他の人の証言はほぼ入れず、彼女の言葉だけでつなぐことを決めました。

彼女が書き残した言葉が世に出るのも、多くの真実が明かされるのも初めてなので、本作では、彼女の熱狂的なファンさえも知りようのなかった〈マリア・カラス〉が見られます。ライトを浴び、特別な運命を辿ったレジェンドの影に隠れていた〈一人の女性〉について、きっと深く理解していただける映画になったとおもいます。

—監督:トム・ヴォルフ
 


Introduction

生まれたままの魂で歌い愛した、世紀の歌姫〈マリア・カラス〉
封印されてきた未完の自叙伝とプライベートな手紙が、
世界初公開の映像と共に今、紐解かれる─

音楽史に永遠に輝く星となったオペラ歌手、マリア・カラス。ひとたび聴けば忘れられない世界にひとつの歌声と、高度なテクニックを自在に操る歌唱力、演じるキャラクターが憑依する女優としての才能、さらにエキゾティックな美貌と圧倒的なカリスマ性で、観衆を虜にした不世出のディーヴァだ。

スターの座に上り詰めた彼女の名は、「完璧」を追い求め自分にも他人にも妥協を許さないスタイルや、自尊心が高いゆえの周囲との衝突、そして世間を騒がせた恋愛など、数々のスキャンダルによってさらに広まった。そんなドラマティックな人生は幾度か劇映画化され、舞台や記録映像を集めたドキュメンタリー映画も公開され、マリア・カラスの伝説はコンプリートされたかに見えた。

ところが、没後40年にして驚くべき事実が判明する。彼女は未完の自叙伝を遺していたのだ。オペラをテーマにした短編映画を数多く手掛けてきたトム・ヴォルフ監督が、マリア・カラスの歌声に惚れ込み、3年の月日をかけた〈真のマリア・カラスを探し求める旅〉でこの自叙伝を入手。さらに彼女の親友たちから信頼を得て、封印されてきたプライベートな手紙や秘蔵映像・音源もふんだんに集めることに成功し、過去の作品群と一線を画す、まさに本物の人間ドラマが詰まったドキュメンタリー映画が完成した。

初めて彼女自身の〈歌と言葉〉だけで〈告白〉する
世界を虜にした歌声とスキャンダルの〈真実〉とは─?

カラスが書き残した自叙伝の中の文章と未公開の手紙は、『永遠のマリア・カラス』でカラスを演じたファニー・アルダンが、命を吹き込むように朗読する。そこには、連日のようにゴシップ紙の一面を飾った数々のスキャンダル─28歳年上の男性との結婚、大統領やセレブも駆け付けたローマ歌劇場の舞台を第1幕で降りたことへの激しいバッシング、カラスに“クビ”を宣告したメトロポリタン歌劇場の支配人とのバトル、ギリシャの大富豪オナシスとの大恋愛と夫との離婚、愛し合っていたはずのオナシスが、暗殺されたアメリカ大統領ケネディの未亡人ジャクリーンと結婚したことを新聞で知るという衝撃の顛末─の真相と、カラスの心の叫びが切々と吐露されている。

その他に世界初公開となるのは、自宅や友人宅でリラックスする素顔や豪華クルーズを楽しむ姿が8ミリや16ミリに収められたプライベートフィルム、貧しかった少女時代などカラスの引き出しの奥から出てきたような個人的な写真、熱狂的なファンが無許可で撮影したパフォーマンス、親しい関係者やファンから入手した音声テープ、TV放映でカットされたインタビューなどで、作品中の実に50%以上を占める。過去に公開されたものも、1度生放送されて以来ずっとお蔵入りになって眠っていたインタビューや、モノクロに当時の写真をもとに色付けされた映像など、特別なお宝ばかりだ。

まさに全編が、マリア・カラス本人の歌と言葉だけで綴られる、“真実の告白”。頂点を極めてもなお高みを目指そうとするアーティストとしての信念と、結婚や出産などひとりの女性としての幸せの間で揺れ動く姿は、観る者の胸を熱くする。さらに、どんな一流のプロフェッショナルにも訪れる、キャリアの衰退にも果敢に立ち向かう姿勢も、多くの共感を呼ぶだろう。

今だからこそ、大スクリーンから全身で受けとめたい─どんな波乱にぶつかっても自分の魂に誠実に生きた人生からほとばしる、観衆に特別なパワーと優しさを与えてくれる歌声を─。


Story

エピローグ 「2人の私がいるわ」

「マリアとして生きるには、カラスの名が重すぎるの」と、1970年にニューヨークで受けたインタビューで打ち明けるマリア・カラス。この時のカラスは既に数々の困難に直面してきたにもかかわらず、その瞳は驚くほどまっすぐで、「今まで正直に生きてきたわ」という言葉がすべてを物語っている。

少女時代 「生まれて初めてのウソよ」

1958年、ニューヨーク。TV番組のインタビューで、少女時代を振り返るマリア・カラス。ニューヨークで生まれ育った彼女の才能に最初に気付いたのは、母親だった。野心的でシャーリー・テンプルら子役の華やかな成功に憧れていた母は、カラスを歌手にすると決意する。

カラスと家族は1937年にギリシャに移住。13歳のカラスは、17歳からしか入学できないアテネ音楽院に年齢を偽って見事に合格する。そこで巡りあったのが、カラスが「誰よりも大切で家族のような存在だ」と説明するスペイン人の恩師エルビラ・デ・イダルゴだ。カラスはどんな生徒だったかとインタビューされたエルビラは、「完ぺきよ」と即答する。毎朝一番乗りで、帰るのは最後だったというカラスの努力が明かされる。ここでカラスは、ベルカント唱法を学ぶ。

キャリアの開花 「演技力のないオペラ歌手なんて問題外よ」

音楽院を卒業して、いよいよマリア・カラスの快進撃が幕を開ける。1952年のフィレンツェでは、まだふっくらとした少女の面影を残していたカラスが、1954年のスカラ座公演「ヴェスタの巫女」では、艶やかな美しさをたたえた大人の女性に変身していた。代表作の一つである「ノルマ」の1956年のニューヨーク公演では拍手が鳴りやまず、1958年のパリでは観衆が歌声はもちろんそのオーラに息をのんだ。

だが、この頃の本音を、1970年のインタビューでカラスは、「幸せな家庭を築いて子供を産みたかった」と告白する。最初は母、次は夫に歌い続けることを強制され、逃げられない運命だったというのだ。

激しいバッシング 「私の名前が泥まみれになった」

1958年1月2日、ローマ歌劇場。マリア・カラスは「ノルマ」の舞台で、1幕だけ歌って降板する。リハーサル中に喉をこわし、幕間で声が出なくなったのだ。その夜のチケットは完売、大統領も臨席していた。日頃から何事に対しても堂々と自分の意見を主張してきたカラスは、まるでその仕返しのように、ほとんどの新聞から「ワガママ」「傲慢」と非難される。2ヶ月後、リスボンでの「椿姫」の公演で、「さようなら、過ぎ去った日々よ」を歌うカラス。その歌詞は、カラスの現在の心情と怖いくらいに重なっていた。

さらに、逆風は続く。メトロポリタン歌劇場の支配人に、若手を起用して新しい演目をやりたいと提案したところ生意気だと激怒され、いきなり“クビ”を言い渡されたのだ。

オナシスとの出会い 「彼こそ探し求めていた男」

心身ともに弱っていたマリア・カラスがアリストテレス・オナシスと恋におちたのは、1959年、夏のことだった。その2年前から面識があり、夫のバティスタ・メネギーニと共に豪華クルージングに招待されたのだが、その頃のカラス夫婦は危機を迎えていた。お金や地位にしか興味が無く、妻の才能で得た名声でセレブ気取りの夫に幻滅したとカラスは書き残している。反対にオナシスの魅力については、「強烈な個性を持ち、誰でも夢中にさせる人たらし」と綴るカラス。さらに、クルーズから戻ったカラスが友人に「夫と別れます」と宣言した手紙が紹介される。だが、夫は離婚を拒絶し、二人は長い裁判闘争へと入っていく。

愛に満たされた日々 「この2ヶ月、口を開けるのは笑うため」
 
オナシスの愛に包まれたマリア・カラスはすっかり穏やかになり、声の質まで変わったと指摘される。カラスはインタビューで成長したのだと語り、「大勢の人に歌心を感じてほしい」と微笑む。カラスのその言葉を証明するかのように、1962年の「カルメン」の“恋は野の鳥”の歌声は深みを増している。

夫の監視のもと働き詰めだったカラスは、今では疲れるとすぐに休暇を取り、オナシスとのクルーズを楽しんでいた。1964年にバカンスで訪れたギリシャの小さな村の祭で、飛び込みで「カヴァレリア・ルスティカーナ」の“ママも知るとおり”を歌う貴重な映像が流れる。リフレッシュしたカラスは、ロンドンでエリザベス女王も臨席した「トスカ」で熱唱し、大成功を収める。

そして遂に、1965年3月、メトロポリタン歌劇場への7年ぶりの復帰が決まる。観客の熱狂はカラスをして「こんな舞台経験は初めて」と言わしめるほどだった。親友のグレース・ケリーに綴ったプライベートな手紙が、大舞台を終えた歌姫の心境を語る。

オナシスの裏切りとトップからの失墜 「耐えて生きなければ」
 
成功の美酒に酔ったのも束の間、再び体調を崩したマリア・カラスは、またも舞台で途中降板してしまう。喉に負担をかけない歌い方を模索するが、心身ともに消耗するばかりだ。オナシスとの愛に安らぎと救いを求めるカラスは、1968年1月の彼の誕生日に、愛を込めた手紙を送る。「永遠に、あなたと一緒にいたい」と─まさか、その9ヶ月後に、手ひどい裏切りが待っているとは思いもしないで。

その年の10月、オナシスは故ケネディ大統領の未亡人、ジャクリーン・ケネディと再婚したのだ。カラスはエルビラへの手紙に、「9年も共に過ごしたのに、新聞で知りたくなかった」と衝撃の“事実”を記している。

復活を目指して 「私の自叙伝は歌の中に綴られている」

1969年、歌を休んでいたマリア・カラスの映画デビュー作『王女メディア』の撮影が始まる。評判がよければ女優に転身したいと望んでいたが、映画はこれ1本で終わってしまった。そんな中、オナシスからの復縁の願いを受け入れるカラス。オナシスはカラスに、「あの結婚は過ちだった」と認めたのだ。

1973年のロンドンを皮切りに、カラスの“復帰ツアー”が始まる。オペラではなくコンサートだったが、ヨーロッパ、アメリカ、アジアをまわり、ラストは日本で、熱狂する観客に歌う喜びを取り戻すカラス。
だが、1975年、病に倒れたオナシスが死を迎える。カラスが書き留めていた、最後に会った時のオナシスの言葉が胸を打つ。

1977年9月16日の朝、カラスはパリの自宅で心臓発作のため息を引き取った。享年53歳。舞台復帰を目指して練習を続けていたが、叶わなかった。世紀の歌姫が書き残していた自叙伝は未完のまま、観客へのメッセージで途切れていた─「私にあるのは感謝のみです」。


劇中 マリア・カラス本人歌唱楽曲(※登場順)

歌劇/楽曲/作曲者
蝶々夫人/なんて美しい空!/プッチーニ
シチリアの晩鐘/ありがとう、愛する友よ/ヴェルディ
ノルマ/清らかな女神よ/ベッリーニ
椿姫/さようなら、過ぎ去った日々よ/ヴェルディ
マクベス/早く来て、明かりを/ヴェルディ
カルメン/恋は野の鳥(ハバネラ)/ビゼー
カヴァレリア・ルスティカーナ/ママも知るとおり/マスカーニ
トスカ/歌に生き、恋に生き/プッチーニ
夢遊病の娘/おお花よ、お前がこんなに早く萎んでしまうとは/ベッリーニ
アンドレア・シェニエ/母が死に/ジョルダーノ
ジャンニ・スキッキ/私のお父さん/プッチーニ

他 数々の名曲が登場!


Cast and Staff

マリア・カラス  Maria Callas

(1923年12月2日or4日−1977年9月16日)※本名は、マリア・カロゲロプーロス

1923年12月2日or4日 ニューヨークで、ギリシャからアメリカに移民したばかりの両親のもとに生まれる。
1937年 離婚した母に連れられ姉と共にギリシャに移住。年齢を詐称し、13歳でアテネ音楽院に入学。
恩師となるエルビラ・デ・イダルゴと出会い、歌唱法〈ベルカント〉を学び、アテネのギリシャ国立劇場で『フィデリオ』『トスカ』『カヴァレリア・ルスティカーナ』などに出演。
1945年 アメリカに渡るが、オーディションを受けては落ちの不遇の時代をすごす。
1947年 イタリア・ヴェローナに渡り、アレーナ・ディ・ヴェローナ(野外劇場)で舞台に立つ。この地で、のちの夫となる28歳年上の実業家バティスタ・メネギーニに見いだされる。
1949年 ヴェネツィアで、指揮者のトゥリオ・セラフィンのもとで『ワルキューレ』の公演中、『清教徒』でも代役をすることになり、その歌唱が好評を博す。
エージェントになったメネギーニと結婚し、ヴェローナの小さな協会で結婚式を挙げる。
1951年 メキシコのベジャス・アルテス宮殿で『ノルマ』『椿姫』『ランメルモールのルチア』などを歌う。
1952年 コヴェント・ガーデンの舞台で『ノルマ』を歌い話題に。『マクベス』でスカラ座デビューも果たす。
1953−54年 40キロもの減量に成功する。
1955年 世界有数のオペラハウスで公演を行い、いずれも大成功し、世界的スターに。
1956年 ニューヨークのメトロポリタン歌劇場でデビューを果たす。『ノルマ』『ランメルモールのルチア』、その後『トスカ』も歌う。
1957年 ギリシャの海運王アリストテレス・オナシスと出会う。
1958年1月 ローマ歌劇場のこけら落とし公演で体調不良を理由に途中で舞台を降り、大バッシングを受ける。
11月 メトロポリタン歌劇場との契約打ち切りを告げられる。
年末 フランスでガラ・コンサートを行い大好評を博す。
1959年 アリストテレス・オナシスの船でクルージングに出かけ、恋に落ちる。夫との離婚泥沼騒動に。
1960年−61年 オナシスと世界をまわり、パーティやガラ・コンサート、カンヌ国際映画祭にも出席。
1962年 ニューヨークやロンドンで『カルメン』を歌う。
1965年 パリのオペラ座、ロンドン、ニューヨークのメトロポリタン歌劇場で『トスカ』や『ノルマ』を歌う。
1966年 アメリカの市民権を放棄し、ギリシャ国籍を獲得し、離婚へ。
1968年10月 オナシスがジャクリーン・ケネディと結婚したことを報道で知る。
1969年 『王女メディア』で映画に初出演する。監督を務めるピエル・パオロ・パゾリーニと親しい関係に。
1970年 映画『王女メディア』が公開されるが、興行は大失敗に終わり、パゾリーニとの関係も断ち切る。
1971年−72年 ニューヨークのジュリアード音楽院で「マスタークラス」を実施。
1973年−74年 ロンドンを皮切りに、最後は日本でジュゼッペ・ディ・ステファノと共にワールドツアーを行う。
1977年9月16日 パリの自宅で心臓発作のため53歳にして息を引き取る。


朗読:ファニー・アルダン Fanny Ardant

1949年3月22日、フランス生まれ。モナコで育ち、大学はフランスのエクス=アン=プロヴァンス政治学院を卒業。
20代前半より演劇に興味を持ち、ロンドン在仏大使館勤務を経て、1973年、演劇学校に入学。翌1974年に初舞台、1976年に映画デビュー。TVミニ・シリーズ「Les dames de la cote」(1979)での演技に感銘を受けたフランソワ・トリュフォーが、『隣の女』(1981)のヒロインに抜擢し、一躍脚光を集め、続く『日曜日が待ち遠しい!』(1982)も主演。これが縁で、トリュフォーとはプライベートでもパートナーとなり、1983年に娘が生まる。1996年セザール賞主演女優賞を受賞。フランスを代表する女優の地位を確立。代表作は『8人の女たち』(2002)『麗しき日々』(2013)など。『永遠のマリア・カラス』(2002)ではマリア・カラスを演じている。


監督:トム・ヴォルフ Tom Volf

ロシア、サンクトペテルブルク生まれ、フランス育ち。
2006年に映画作りを始める。カメラマンとしても活躍。手がけてきたのは、ファッション広告、国際的組織や企業のPR映像のようなものから、オペラをテーマとする短編映画など多岐にわたる。シャトレ座ではオーディオビジュアル・コミュニケーションを3年に渡り担当し、さらに、プラシド・ドミンゴ、スティング、デヴィッド・クローネンバーグなどの数々の偉大な人物や作家のインタビュアーとしても活躍。
2013年にニューヨークに移り、マリア・カラスの歌声に感銘を受け、マリア・カラスを探求するプロジェクトを開始。3年間にわたり世界中を旅し未公開の資料や映像、音源を探した。またカラスの近親者や仕事相手にも会いに行き、60時間以上のインタビューを実施。そこで得た貴重な情報や素材は初の長編監督映画となる『私は、マリア・カラス』(原題:Maria by Callas)、3冊の書籍、2017年9月パリで開催した展示会などでみることができる。


劇中に登場するセレブリティ

●アリストテレス・オナシス(海運王)
●バティスタ・メネギーニ(実業家・夫)
●エルビラ・デ・イダルゴ(ソプラノ歌手・恩師)
●ジャクリーン・ケネディ(元米国大統領夫人)
●ヴィットリオ・デ・シーカ(俳優・映画監督)
●ピエル・パオロ・パゾリーニ(映画監督)
●ルキノ・ヴィスコンティ(映画監督)
●オマー・シャリフ(俳優)
●ブリジット・バルドー(女優)
●カトリーヌ・ドヌーヴ(女優)
●グレース・ケリー(女優・モナコ公妃)
●レーニエ3世(モナコ大公)
●エリザベス・テイラー(女優)
●ウィンストン・チャーチル(元英国首相)
●エリザベス女王
●マーガレット・ローズ(エリザベス女王の妹)
●ジャン・コクトー(作家)
●フランコ・ゼフィレッリ(映画監督・オペラ演出家)
●ジュゼッペ・ディ・ステファノ(テノール歌手)
●ルドルフ・ビング(メトロポリタン歌劇場支配人)
●エドワード8世(ウィンザー公爵)
●ウォリス・シンプソン(ウィンザー公爵夫人)
・・・他


プライベートなSuper8mm FILM(※1)で撮影された初出し素材

○1953年11月19日 イタリアのトリエステで「ノルマ」のパフォーマンスをバックステージより撮影
カラスにとっては前年のコヴェント・ガーデンでの上演以来の「ノルマ」の歌唱。

○1959年 イタリア・シルミオーネのガルダ湖沿いの自宅にて夫とのプライベートショット
ブランコに乗ったり、お茶をしたり、カラスの素顔が垣間見える。

○1959年夏 オナシスやチャーチル夫妻との初クルージングでのプライベートショット
誘いを断ろうとしたカラスを夫が説得し、乗船。夫との関係に陰りが見え、オナシスと関係が発展するきっかけに。
   
○1961〜62年 ギリシャにて オナシスとクリスティーナ号でクルージング プライベートショット
音楽以外の時間は、オナシスと地中海を周遊する日々へ。友人にも囲まれ、かつてないほどリラックスした表情のカラスが見られる。

○1964年 オナシスと休暇で訪れたギリシャのレフカダ島でのサプライズ歌唱を撮影
突然ステージにあがり「カヴァレリア・ルスティカーナ」のアリア“ママも知るとおり”を歌うカラスに村の人たちはとても驚いた。

○1965年3月 7年ぶりにニューヨークのメトロポリタン歌劇場にて 「トスカ」と「ノルマ」の舞台をバックステージと観客席より撮影
契約解除を言い渡され関係を絶って以来初のメトロポリタン歌劇場での公演。これが、カラスが歌う「トスカ」と「ノルマ」の最後に。
   
○1969年 トルコにて ピエル・パオロ・パゾリーニ監督の映画「王女メディア」の撮影現場の裏側を撮影
砂漠でのハードな撮影ながら、新しいことへの挑戦に喜びを感じ、現場を楽しむカラス。監督とは関係を深めるが、映画の興行的失敗により関係を絶つことに。
○1976年 フロリダのパームビーチ近くで 最後の休日
メディアからのプレッシャーとオナシスが死に直面している苦しみから逃れるためにフロリダへ。

他にも、本編内には初だし素材として、友人が撮ったツアー、コンサート、ガライベント、パーティー、休暇の映像などが登場。
 

初めてカラー(※2)、HDクオリティで世に出る素材

○1958年12月 パリにて 「ノルマ」“清らかな女神よ”の歌唱シーン
パリでのガラ・コンサート。当時はモノクロでテレビ放送された。

○1962年 ロンドンにて 「カルメン」“恋は野の鳥”の歌唱シーン
ロンドンでのゴールデン・アワー・コンサート。当時はモノクロでテレビ放送された。

○1964年 ロンドンにて 「トスカ」“歌に生き、恋に生き”の歌唱シーン
ロンドンでの公演。監督はフランコ・ゼフィレッリ、指揮はカルロ・フェリーチェ・チラーリオ。モノクロ映像で保管されていた。
 

久々の蔵出し映像素材

○1970年12月 ニューヨークにて ロングインタビュー
劇中で度々登場するカラスがキャリアや私生活について語るインタビュー素材。当時放送されて以来紛失されていた素材が40年ぶりに発見。放送以来初めて公開される。アメリカの人気番組司会者デビッド・フロストとの1時間以上に渡るロングインタビュー。
 

※1:Super8mm FILM:1965年に発表された個人向けのムービーフィルム。規格の名称はスーパー8(スーパーエイト)。
※2:カラー化:当時の写真をもとに、映像に色づけ。


各国映画祭受賞履歴

ROME FILM FESTIVAL 2017 OFFICIAL SELECTION
ELEPHANT DOC, PETIT DRAGON ET UNBELDI PRODUCTIONS PRESENTENT MARIA BY CALLAS UN FILM DE TOM VOLF AVEC LA VOIX DE FANNY ARDANT
UN FILM DE TOM VOLF MONTAGE JANICE JONES MIXAGE JEAN-GUY VERAN ETALONNAGE ISABELLE LACLAU COLORISATION ARCHIVES SAMUEL FRANCOIS-STEININGER
PRODUIT PAR EMMANUELLE LEPERS, GAEL LEIBLANG, EMMANUEL CHAIN,THIERRY BIZOT ET TOM VOLF
UN FILM PRODUIT PAR ELEPHANT DOC, PETIT DRAGON ET UNBELDI PRODUCTIONS EN COPRODUCTION AVEC FRANCE 3 CINEMA AVEC LA PARTICIPATION DE CINE + et FRANCE TELEVISIONS
ET AVEC LE SOUTIEN DU CENTRE NATIONAL DU CINEMA ET DE L’IMAGE ANIMEE
VENTES INTERNATIONALES MK2 FILMS Photo copyright Fond De Donation Maria Callas

2017年/フランス/カラー/114分
原題:MARIA BY CALLAS/字幕翻訳:古田 由紀子/配給:ギャガ

監督:トム・ヴォルフ 朗読:ファニー・アルダン