2016年1月に星となったデヴィッド・ボウイ。
そしてまた、2018年11月23日、ニコラス・ローグも空の彼方の人となった。
この2人が地球に遺した1作。ボウイの誕生日と命日がかかる週に限定上映!
今はもうないあの場所へ
いつの日かわたしはきっと帰るだろう
ニコラス・ローグの真髄
監督のニコラス・ローグはロジャー・コーマンの『赤死病の仮面』(1964年)やフランソワ・トリュフォーの『華氏451』(1966年)の撮影監督としても知られる。初監督作品『パフォーマンス』(1970年)ではミック・ジャガー、『地球に落ちて来た男』の次作『ジェラシー』(1980年)ではアート・ガーファンクルを主演に迎えるなど、ミュージシャンの身体を映画の中心に置くことで、「映画」を作り変えてきた。俳優ではない「異物」としてミュージシャンたちの身体があることで、映画は不安定になり、そこに運動が生まれた。まさにこの『地球に落ちて来た男』の物語こそ、ニコラス・ローグの映画づくりそのものだったのだ。
「デヴィッド・ボウイ」の誕生
2016年1月10日、この世を去ったデヴィッド・ボウイ。その2日前に69歳の誕生日を迎え、3年ぶりのアルバム『★(ブラックスター)』を発表したばかりだった。架空のロック・スター「ジギー・スターダスト」を演じることで世界的な大スターとなった彼は、それだけではなく、それぞれのアルバムでは常に自分ではない誰かを演じることで、「デヴィッド・ボウイ」となってきた。そんな彼でしかできない、「演出された死」と言いたくなるような、見事すぎる最期でもあった。
Story
ある日宇宙船が地球に落下する。砂漠に降り立った宇宙人は、あまりに美しい容姿を持っていた。その後弁護士のもとを訪れた彼は、人知を超えた9つの特許を元に、弁護士とともに巨大企業を作り上げていく。アメリカのかつての大富豪、ハワード・ヒューズなどを思わせる、彼の奇妙な暮らしが始まり、彼は全米の注目の的となる。一体彼は何をしようとしているのか?彼は何者なのか? もちろんそんな彼の勢威を恐れる者たちもいた。彼の秘密の計画は思わぬ妨害を受け、彼の暮らしは一気に変わる。果たして彼は、故郷の星に戻ることができるのか…
■ニコラス・ローグ NICOLAS ROEG
1928年ロンドン生まれ。10代で撮影所に。『アラビアのロレンス』(1962年)などの第二班撮影監督などを経て、ロジャー・コーマンの『赤死病の仮面』(1964年)やフランソワ・トリュフォーの『華氏451』(1966年)などの撮影を務めた。監督デビューは1970年。ドナルド・キャメルと共同で監督し、ミック・ジャガーが故ブライアン・ジョーンズの恋人アニタ・バレンバーグと共演した『パフォーマンス』。そして翌年には単独での監督作『美しき冒険旅行』を発表した。この2作とも、ローグは撮影監督も務めている。そして3作目の『赤い影』(1973年)でのフラッシュバックを多用しながらの語り口は、後の映画にも大きな影響を与えたが、日本での初公開は77年の公開の『地球に落ちて来た男』の6年後の83年のことだった。その後は、『ジェラシー』(1980年)、『マリリンとアインシュタイン』(1985年)などの話題作を発表するが、日本での長編劇場公開作は、87年の『トラック29』が最後で、その後はビデオスルーやテレビ放映のみとなっている。私生活では『ジェラシー』以降のローグ映画のミューズであるテレサ・ラッセルと結婚したが、その後離婚。2018年11月23日死去。
『美しき冒険旅行』にも出演した息子のリュック・ローグは、映画製作者としてデヴィッド・クローネンバーグの『スパイダー/少年は蜘蛛にキスをする』(2002年)やリン・ラムジーの『少年は残酷な弓を射る』(2011年)などに関わっている。
フィルモグラフィ(劇場用作品、TVM監督作)
Puffball(2007)<未公開>
サムソンとデリラ (1996)
Two Deaths(1995)<未公開>
真・地獄の黙示録 (1993)
コールド・ヘブン/悪夢の再会 (1992)
ジム・ヘンソンのウィッチズ (1989)
エリザベス・テイラー/七年目の愛情 (1989)
トラック29 (1987)
アリア (1987)
漂流者/2人だけの島 (1986)
マリリンとアインシュタイン (1985)
錆びた黄金 (1982)
ジェラシー (1980)
地球に落ちて来た男 (1976)
赤い影 (1973)
美しき冒険旅行 (1971)
パフォーマンス (1970)
※映画製作年はBFI(ブリティッシュ・フィルム・インスティテュート)のプロフィールを参照、テレビシリーズの監督作は省いた。
トーマス・ジェローム・ニュートン:デヴィッド・ボウイ DAVID BOWIE
1947年、イギリス・ブリクストン生まれ。子供のころからアメリカのポップス、ブラック・ミュージック、そしてモダン・ジャズに親しみ、10代半ばで音楽活動を始める。後に『ハンキー・ドリー』(1971年)や『ジギー・スターダスト』(1972年)のアルバム・ジャケットを手掛ける画家のジョージ・アンダーウッドもこのころの仲間である。
1964年、ディヴィー・ジョーンズ・アンド・ザ・キング・ビーズ名義でシングル・デビュー。しかしヒットには恵まれず、66年に「デヴィッド・ボウイ」に改名し、翌年、最初のアルバムをリリースした。その後、短編映画に出演した際に舞踏家・パントマイマー・振付師のリンゼイ・ケンプに出会い、師事を受け、その後の「デヴィッド・ボウイ」の活動の基盤が出来上がる。69年には『2001年宇宙の旅』(1968年)をモチーフにしたセカンドアルバム『スペイス・オディティ』を発表、世界的なヒットとなる。『世界を売った男』(1970年)『ハンキー・ドリー』と続くアルバムで、盟友ミック・ロンソンとともにグラム・ロック・サウンドを確立し、72年の『ジギー・スターダスト』の大ヒット、そして1年半にも及ぶ長期のツアーによって、時代のアイコンとなる。このツアーでは、山本寛斎の衣装も取り入れられ、ボウイの日本趣味も顕在化していく。
ツアー終了後、ボウイは「ジギー・スターダスト」という人格を封印。アメリカに拠点を移し『ヤング・アメリカンズ』(1975年)を製作し、そして『地球に落ちて来た男』への出演となる。この作品で俳優としてのキャリアをスタートさせたボウイは、その後『ハンガー』(1983年/トニー・スコット監督)、『戦場のメリークリスマス』(1983年/大島渚監督)などの話題作への出演が続く。『ステイション・トゥ・ステイション』(1976年)と『ロウ』(1977年)という2枚のアルバムで、『地球に落ちて来た男』の場面写真をジャケットに使ったのは、そんな俳優としての出発点として、この作品がボウイのキャリアの中でいかに大きな位置を占めているかの表明でもあった。
「ジギー・スターダスト」の後、ボウイは架空のキャラクター「シン・ホワイト・デューク」を名乗ることになる。ナチズムを意識したそのキャラクターと言動は、激しい批判も浴びた。その後『地球に落ちて来た男』の頃から続く薬物依存の治療も兼ねて、ボウイはベルリンへと移住。『ロウ』、『英雄夢語り』(1977年)、『ロジャー』(1979年)という3作を発表し、「ヒーローズ」などの大ヒット曲を生む。
そして再びアメリカへ。アメリカではナイル・ロジャースをプロデューサーに迎えた『レッツ・ダンス』(1983年)を発表。それは、ブラック・ミュージックやソウルのファンなど、これまでのボウイ・ファンだけでない、幅広い人々から受け入られる大ヒットアルバムとなった。89年にはそれまでのソロ活動を封印、あらたに「ティン・マシーン」を結成して2枚のアルバムを発表する。91年のセカンド・アルバム発表後に大規模な世界ツアーを行うが、翌年の武道館でのライヴを最後に、バンド活動を停止。ソロ活動を再開することになる。
93年にはイマン・アブドゥルマジドと再婚、その後はナイル・ロジャースやブライアン・イーノなど、旧友をプロデューサーに迎えてのアルバムを製作、2003年の『リアリティ』までは意欲的にアルバムをリリースし続けた。しかし『リアリティ』後の世界ツアー中に大動脈瘤による胸部の痛みを発症、長期の療養、休養期間に入る。新作は2013年の『ザ・ネクスト・デイ』まで待たねばならなかった。そして2016年1月8日、69歳の誕生日には『★(ブラックスター)』を発表、斬新なアルバム・ジャケットとともにデヴィッド・ボウイの顕在を示したが、その2日後の1月10日、死去。
1976年/イギリス/139分/原題:The Man Who Fell To Earth
監督:ニコラス・ローグ
原作:ウォルター・テヴィス
脚本:ポール・メイヤーズバーグ
撮影:アンソニー・B・リッチモンド
音楽:ジョン・フィリップス、ツトム・ヤマシタ 製作総指揮:サイ・リトヴィノフ
製作:マイケル・ディーリー、バリー・スパイキングス
出演:デヴィッド・ボウイ
リップ・トーン、キャンディ・クラーク、バック・ヘンリー 、バーニー・ケイシー、ほか
提供:京都みなみ会館、boid 配給:boid