既成の映画ルーティンをことごとく破壊し、観る者をまったく新しい地平へと誘う映画監督シャンタル・アケルマン。2022年にはイギリス映画協会が10年ごとに選出する「史上最高の映画100」で『ジャンヌ・ディエルマン ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地』が見事1位に輝いた(2位はアレフレッド・ヒッチコック『めまい』、3位はオーソン・ウェルズ『市民ケーン』)。今回で3度目となる特集上映では『ジャンヌ・ディエルマン~』などの劇映画と並行してアケルマンが撮り続けていた、きわめて重要な“移動する”ドキュメンタリー3部作や、アケルマン初の長編で映像スケッチ的ながら確かにアケルマンの作家性を色濃く映す『ホテル・モンタレー』を中心に10作品のラインナップを構成した。静謐な眼差しで自己と世界を見つめ続けたアケルマンの旅は、今も続いている。
『街をぶっ飛ばせ』Saute ma ville 1968年/12分
当時18歳だったアケルマンの記念すべきデビュー作。
狭いキッチンで縦横無尽に暴れ回る若い女性の支離滅裂な行動は、驚くべき事態で幕を閉じる。
その後の反逆的な作品群の原点とも言える破壊的なエネルギーに満ちた、あまりに瑞々しい短編。
*『ホテル・モンタレー』と併映
『ホテル・モンタレー』Hôtel Monterey 1972年/63分 *サイレント【初上映】
アケルマン初の長編。ニューヨークの安ホテル。ロビー、寝室、
暗闇へと続く長い廊下、時々姿を現す住人たち……。
盟友のキャメラマン、バーベット・マンゴルトの魔法によって、
ありふれた空間が非現実的な、ぞっとするほどの美が目配せする舞台へと変貌してゆく。
*『街をぶっ飛ばせ』を併映
『私、あなた、彼、彼女』Je Tu Il Elle 1974年/86分
部屋を飛び出たアケルマン自身が演じる“私”がトラック運転手と行動を共にし、
訪れた家で“彼女”と愛を交わす。
殺風景な空間と単調な行為が閉塞感や孤独を際立たせ、
激しく身体を重ね合うことで悦びがドラマティックに表現される。
『家からの手紙』News from Home 1976年/85分
1970年代NYの荒涼とした街並みに、
母が綴った愛情あふれる手紙を読むアケルマン自身の声がかぶさる。
都会の寂しさと、遠く離れた家族の距離が
エレガントな情感を持って横たわる、映画という<手紙>。
『アンナの出会い』Les Rendez-vous d’Anna 1976年/85分
最新作のプロモーションのために欧州の都市を転々とする女流映画監督。
教師、母、母の友人らとの接触を挟みながら、常に孤独に彷徨い歩く主人公アンナと、
日常に溶け込みはしない断片的な時空間を通し、アデンティティや幸福の本質が絶妙な構成で描き出される。
『一晩中』Toute une nuit 1982年/90分
ブリュッセルの暑い夜、眠りにつくことのできない人々。
官能的な熱を帯びた一晩の中で連結していく出会いや別れ。
詩的な青色の夜を描き出す撮影監督の一人に、
リヴェット、ゴダール、カラックスらの作品を手掛けたカロリーヌ・シャンプティエ。
『ノー・ホーム・ムーヴィー』No Home Movie 2015年/112分
ポーランド系ユダヤ人である母親の日常をアケルマン自身が撮影。
浮かび上がるのはささやかな出来事や家族の思い出、そしてアウシュヴィッツ収容所で過ごした母の記憶。
母は編集中に亡くなり、アケルマン自身も本作が完成した後にこの世を去った。
【ドキュメンタリー3部作】
『東から』D'Est 1993年/115分
ポーランドやウクライナ、東ドイツといったソ連崩壊後の旧共産主義国の都市と
そこで暮らす人々をとらえたドキュメンタリー。
地名もナレーションも排し、透徹した眼差しで対象物を見つめることによって映像そのものが静かに語りはじめる。
『南』Sud 1999年/70分【初上映】
アメリカ南部での映画製作を計画していたアケルマンだったが、撮影直前、
テキサスで黒人のジェームズ・バード・ジュニアが白人至上主義者たちによってリンチの果てに殺害される。
この恐ろしい事件に焦点を当てながら、アケルマンは地元の人々へのインタビューを通し、
アメリカ社会に潜む憎悪とその背景を検証していく。
『向こう側から』De l’autre côté 2002年/102分【初上映】
9.11の直後、危険を冒してでもメキシコからアメリカへ越境する移民たち。
不条理な状況を受け入れざるを得ない人々の証言によって、国境や砂漠の地の不在そのものが強烈な重みを増し、
21世紀初頭の<行き止まり>を観客に内から体感させる。
『東から』『南』から続くドキュメンタリー3部作を締めくくる作品。