1895年3月
リュミエール兄弟がはじめて映画を
上映した場所に、彼女はいた。
アリス・ギィは最初期の劇映画を脚本、監督、製作した。
クローズアップ、特殊効果、映画のカラー化、音の同期など、多くの映画技法を開発。
自身で映画製作会社を立ち上げ、自ら監督、製作をこなした。
フランス、アメリカで20年のキャリアを積み、1000本の映画を監督した彼女は、映画界から消えた。
リュミエール兄弟やジョルジュ・メリエスと並ぶ映画のパイオニアであり、
ハリウッドの映画製作システムの原型を作り上げた世界初の女性映画監督であったアリス・ギィ。
なぜ彼女は歴史から忘れ去られたのか?
現代の女性ドキュメンタリー映画監督がアリスの足跡を辿り、その隠された生涯に迫る。
公開期間中、「アリス・ギイ短編集」限定上映決定!
映画『映画はアリスから始まった』(8/19(金)より出町座にて)京都公開を記念して、アリス・ギイの、1898年から1907年までの短編13作品を限定上映することが決定。世界初の物語映画の監督となったアリス・ギイをめぐるドキュメンタリー映画『映画はアリスから始まった』で、アリス・ギイに関心を持った観客が、彼女自身が100年以上前に監督した作品を見ることができる貴重な機会となります。
■アリス・ギイとは
映画が誕生して100年。世界初の物語映画監督・女性監督でありながら、アリス・ギイの名は映画史に埋もれて忘れられてきた。女性は男性に従属するものという社会通念のなかで傑出した彼女の才能は正当に評価されず、大半の作品が男性スタッフの名前で監督にクレディットされたためである。
アリス・ギイは1873年、パリ郊外に生まれた。父の死後、家計をささえるために職業訓練を受けたのち、レオン・ゴーモンの秘書になる。折から「動く写真」の時代が到来しており、ゴーモンは映写機の製造と販売、さらには「動く写真」の製作にまで手を広げていた。それを手伝いながら生来の想像力を刺激されたアリスは、カメラの前で人に演技させて「キャベツ畑の妖精」を完成。時に1896年、これこそが単に「動く写真」ではない、世界で最初のストーリーのあるドラマティックな「映画」だった。その創作欲はとどまることなく、新設されたアメリカ支社の支社長となった夫ハーバート・ブランシェ=ボルトンとともにニューヨークへと赴いてからも、次々と作品を作っていく。だが、女性差別の状況は変わらず離婚もかさなった失望のうちに映画界から身を引いたまま、1968年に世を去った。ちなみに彼女が基礎づくりに多大な貢献をしたゴーモン社は、いまもフランス最大の映画会社として稼働している。
2018年/USA/103分
原題:Be Natural: The Untold Story of Alice Guy-Blache
配給:パンドラ
監督・製作・脚本・編集:パメラ・B・グリーン
製作:ロバート・レッドフォード 他
原作:アリソン・マクマハン
音楽:ピーター・G・アダムス
ナレーション:ジョディ・フォスター
出演:アリス・ギイ=ブラシェ、シモーヌ・ブラシェ、ベン・キングズレー、マーティン・スコセッシ、アニエス・ヴァルダ 他